舞鶴中世史研究会
一九八九年十二月十七日、小春日和の金剛院において、舞鶴地方史研究会主催の、京都府立丹後郷土資料館技士(当時)石川登志雄氏による講演会「志楽庄をめぐって」開かれました。この講演会の場で「志楽庄研究会」創立の提案があり、満場一致で創立が決定しました。
早速翌年一月十三日、第一回の例会が開かれ、これが「舞鶴中世史研究会」の創立です。
当初は、『梅垣西浦文書』の解読が目的でしたが、舞鶴にかかわる中世文書にも手を広げ、会の名称も現在のものに変更しました。
以来、『金剛院文書』『阿良須神社文書』『桂林寺文書』『赤野文書』『大波堀内家文書』『白井家文書』『千歳堀内家文書』『朽木家文書』に取り組みました。
一昨年度からは、原点にもどり『梅垣西浦文書』の精読に取り組んでいます。
内容は志楽庄の土地の相場や売買に関する短いものがほとんどですが、原本の写真版と見比べながら精読していくと、毎回新しい発見や、以前の理解の修正を迫られたりします。
そのたび、中世の古文書から引き出せる情報の質と量は、読み手の力量次第だと痛感させられます。
今年一年かかりようやく第二巻に入りました。
全巻が終わるのはまだ先ですが、いずれは会の研究の到達点をまとめ刊行することを目指しています。